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太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月、斎藤茂吉(※)が経営する私立の精神病院であった青山脳病院が東京都に譲渡され、「東京都立松沢病院分院」として診療を開始しました。
その後、1948年(昭和24年)4月に児童患者の入院を開始し、1952年(昭和27年)11月に「東京都立梅ヶ丘病院」となりました。1974年(昭和49年)6月には、小児専門病院としての性格が明文化されました。
病院は2010年(平成22年)3月、東京都立清瀬小児病院・東京都立八王子小児病院と統合され、東京都立小児総合医療センターとなったことで閉鎖されました。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/東京都立梅ヶ丘病院)
石碑(右)内容 | |
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茂吉われ院長となりいそしむを 茂吉 |
石碑(左)内容 | |
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大正15年に港区南青山から当地に移設された青山脳病院は、昭和2年から同20年まで、斎藤茂吉氏が院長として運営にあたられたが、同20年東京都に移管され、新たに都立松沢病院分院として発足した。
昭和62年3月 |
石碑(右)内容 |
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茂吉われ院長となりいそしむを 茂吉 |
石碑(左)内容 |
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大正15年に港区南青山から当地に移設された青山脳病院は、昭和2年から同20年まで、斎藤茂吉氏が院長として運営にあたられたが、同20年東京都に移管され、新たに都立松沢病院分院として発足した。
昭和62年3月 |
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